爆音映画の発見 監督たちへのメール・インタビュー (2009)

ほんとうは「爆音」というものなど、存在しないのかもしれない。あくまでそれは「通常」との比較の上になりたつものだから。比較を前提とするかぎり、どんなに強大な音響装置を用意したところで、聴力に障害のある人にとってそれは「爆音」とはなりえない。

おそらく音の量が問題なのではない。問題なのはその質なのだ。質といっても、それはいわゆる音質のことではなく、音を聴取するという行為についての質、つまり態度が問われているのだと思う。

音の洪水のただなかに身を沈め、非日常的な経験として音に陶酔し、それを享受するばかりであったとしたら、爆音上映などというものは下らないもののはずである。

渦に巻かれるばかりではなく、そこからまた浮き上がること。微細な音のいちいちの表情に驚き、その総体と厳しく対峙すること。世界から弾き出されること。

作り手として受け手として、爆音上映は試練の場でありつづけると思う。


(『爆音通信』Vol.2)