『TOCHKA』について (2009)

僕の好きな映画とは、世界と人間との生きた調和を肯定的に描くものです。しかし映画がそのような調和を具現化するためには、作る側はもちろんのこと見る側も、さまざまな手続きや思考、さらには忍耐を経なくてはなりません。そこには一切の安直さがあってはならない。つまり、一見して否定的なものを介さずには描き得ない・感じ得ない肯定性というものも存在するということです。そしてそのようにして掴み取られた一片の肯定性にしか、信じるものなどないということです。現在の映画でそのような試みはほとんど見られませんが、僕の目指すものはそこにしかないのです。

またスタイルについていえば、もしこの映画が切り詰めた、貧しい形式を持っているという印象を人に与えるとすれば、それは他が贅沢過ぎるからそう見えるだけです。僕自身はまだまだ贅沢過ぎるとさえ思っています。もちろん、スタイルがスタイルとして独立してあっては絶対にならない。それは主題によって決定されるべきものだし、一人の作家のうちで固定されることがあってはいけないのです。この映画のスタイルは、トーチカという構造体の持つ見せかけの永続性と死すべき人間のかけがえのない言葉や眼差し、それにもっと息の永い時間を持つ風や光を共存させ、反響させることから生まれました。それらすべてを尊重する態度こそが、目と耳の我慢強さを僕に求めたのです。


(第22回東京国際映画祭『TIFF Times』Day3 Oct.19 Mon.)