鎌田哲哉様
春に届いた手紙の末尾に添えられた日付から、偶然にですが正確に半年後、この映画は東京での公開初日を迎えることになります。いまはその日を約一月後に控え、準備に追われながらこれを記しています。
僕が春の手紙に返信を書くのは二度目です。その一通目はどこかまだよそよそしいもので、鎌田さんが映画に寄せてくださった感想の内容を受け止め、組み合う構えまでには至らなかった。おそらく鎌田さんも物足りなく思われたに違いありません。
だから今回書き改めるこの返信がより突っ込んだ応答に──もっともらしい註釈や弁解に終始せず、血が通い、感情のこもった応答になればと切に願います。
すぐれた評とは、本当ならこの作品はこういうふうにするべきだった、そのほうがずっとよくなるはずだったということを明らかにするものだと、鎌田さんの嫌いな(?)ゴダールがどこかでいっていた気がするのですが、僕は鎌田さんの「走り書き」を、まさにそのようなものとして読みました。そこには思いがけない方向からなされた作品への「重ね書き」があったからです。
そもそも僕が一面識もない鎌田さんに自作を見てもらいたいと思ったのは、『へばの』論を読んだからではなく、もう十年近くも前、青山真治監督『ユリイカ』についての評を読んだからでした。あの文章のなかで鎌田さんは、映画に対する根強い異議を明らかにしながら、その最後を、例えばバスのなかに置き忘れた小型ラジオのような細部をこれからこの作家がたくさん書き込んでいくことを望む、という意味の一節で結んでいた。僕にとってあの批評は、ロラン・バルトがクロード・シャブロルの『美しきセルジュ』を強く批判しながら、そこにブレヒトを「重ね書き」することで若い作家を励ました作品評と並んで、とても大切なものです。
鎌田さんが僕の映画に「重ね書き」したものとは、一言でいえば「お茶」──女の側からばかりでなく、男の側から差し出され、その隣人を温めるような「お茶」への感受であったでしょう。それを見失ったとき、この映画は「独善的」な「消失の美学」へと落ち込んでしまうということ。そしてその根本的な原因を求めるため、僕が以前書いた自作解題のなかの「石井先生」と、その文章の終わりでやや唐突に持ち出した『こころ』の先生、かれら二人が取る他者への態度を引いて、作中の男を、また松村自身の人間把握の不徹底を批判=批評してくれた。それは本当にかけがえのない指摘に思われたのです。
しかし、いったい、「お茶」とは何か。鎌田さん、僕はこのことを、春から現在まで、ずっと考えているのです。「他者を温める努力」「新しく生きるための動力」と鎌田さんは書きます。そして僕はそこに、鎌田さんも愛する有島の、例えば「小さき者へ」のような文章が帯びている温かさを連想するのですが、もちろんそのような温度を、身近な他者へと放出される無償で柔らかな熱を、作中の男が持つことは決してありません。かれの放つ熱といえば、まるで燃えたぎる窯のような高温でトーチカのなかに幽閉された女を苛み、窒息させるばかりです。
その意味で、男は「他人に『お茶』を与えられる種類の人間ではない」。それは否定しようがないとしても、しかし、「自分を不当に他人に押し付け、他人から何かを一方的に与えてもらうことが当然だとみなす種類の人間」としてのみ、かれはこの映画に現れ、去っていったのか。そのことについて僕は、いや、そうではない、と思うのです。かれは他人から「何か」を受け取った経験を重要なきっかけとして、みずからもまた「何か」を「与えようとする心の発条」を働かせたのではなかったか。その「何か」が決して「お茶」ではないにせよ、です。
思うにそれは、かれがいわずに済ませようとしていた記憶の仔細(それがどこまで「事実」に基づいているかは措きます)を、決して積極的にではなく、ある切実な混乱を伴って、女に伝えようとした行為のうちにあります。
鎌田さんは「一方的であること」の一貫性においてで男を捉え、これを批判している。しかしかれが「一方的に腹を立て」、「一方的にわび」たことは事実だとしても、トーチカと父にまつわる思い出について語り始めたことまでが「一方的である」として済ませられるのだろうか。
なぜなら、その行為の前提には、「怒る/話を聞かせる/お茶をもらう」といった行動のうちには含まれない、他者の「話を聞く」経験が確かに存在していたからです。
かれが胸に秘したまま死ぬつもりであった(またそうすることもできたはずの)記憶を土壇場で語ったことの直接的な動因は、女の口からこの場所を訪れた理由を「聞いた」からです。彼女にとってもそれはいわずにおくことのできた「話」であり、それを相手に「聞かせる」ことにはいかなる益もありません。それにも関わらず、その「話」を見知らぬ男に伝えたことの勇気、その危険なほどの無防備さが、結果としてかれの「心の発条」を動かした。
つまりここでの「話を聞かせる」行為は、単に「一方的であること」として気ままに存在しているのではなく、相手の「話を聞く」こととの深い連関のうちに置かれている。この限りにおいて、「話を聞かせる」ことは都合よく目前の他者を排除する内面化された発話行為をかろうじて離れ、「何か」を与えてくれた他者に向かってみずからも「何か」を与え返そうとする、多分に錯乱的ではあるけれど、しかし懸命な働きかけとしてあると思うのです。
幾度か「お茶」をすすめていた女がついにそれを男に手渡すのが男の最後の話を聞いた後であること、そしてその直前に、彼女が一度は手に取って構えもしたナイフの刃をそっとおさめたこと。それは両者の間で、単純な一方通行ではない、ある感情のやりとりがあった証しなのだと、僕は想像するのです。
もちろんその「何か」が「お茶」なのではない。いま僕が感受しているところの、男が女に与えようとした「何か」とは、「お茶」であるどころか「ナイフ」、つまり生へと刃向かう暴力にさえ転じかねない種類のものであると思います。
その「何か」がみずから「ナイフ」であることを峻拒し、温かな、真に人を生に導く「お茶」として他者のもとへ届くためには、それこそ決定的な「何か」が欠けています。
おそらくそこにはある正確な認識が、鎌田さんが文中で使っている言葉を引けば「親切が相手のためにするもので自己満足のためのものではない、という事実が生む困難を熟考」することの裏打ちが、厳しく求められるのだと思う。他者に温かな「お茶」を注ぐためには、与えられた何ものかを相手に与え返そうとする純粋な衝動だけでも、また、溢れるような愛情だけでも、ただそれだけでは十分ではない。人を暗鬱にも絶望的にもさせる「困難」について考え抜き、それを濾過させることでしか、人は人に「お茶」を入れることはできないということです。
「親切が自己満足のためにするものではない」ということは、おそらく子供にでも分かるようなことでしょう。しかしそれを知っていることと、その単純な事実が孕む厄介さについて真に「熟考」することとの間には、じつに恐ろしいような深淵があるはずです。なぜならそれについて「熟考」することとは、「ほとんどの場合の親切は自己満足のためでしかない」という、痛切かつ圧倒的な現実を見つめることにほかならず、それはまぎれもなく「知性」の問題だからです。
だから、温かな「お茶」とは冷徹な「知性」によって他者に注がれるものである。その「知性」を伴わないとき、「お茶」であろうとしたものは、最悪の場合、「ナイフ」にさえ反転しうるもののはずなのです。
しかし人は生きている限り、隣人に対して「ナイフ」ではなく、「お茶」を差し出さなくてはいけない。少なくとも、それを試み続けるほうがそうしないよりはずっといい。だからこそ、人はつねに「知性」的であるべく努力する必要がある。
そして僕にとってこの映画をつくる──というより、数年のうんざりするような時間の厚みとしてそれをくぐり抜ける──ことは、その欠けた強靭な「知性」を、ものを表現する営みにおいて、また他者のただなかで生を生き切ることにおいて、将来に引き受けようとする仕事だったのではなかったか。……
* * *
ちょうど一年前の秋になりますが、僕は末期癌の父親に付き添うため、しばらく北海道に帰っていたのです。札幌と苗穂を結ぶ線路と、麦酒工場の跡地に立つ煙突を見下ろす小さな病室のベッドで、父はもう一つの言葉も発することのないまま横たわるばかりでした。それこそ「話を聞く」「話を聞かせる」という関係さえ持てぬまま、ある意味で父はその死後よりもなお、遠く「他者」のように感じられました。行く手に立ち塞がる「先の見えた」はずの時間は途方もなく永く感じられ、ときに目を背け逃げ出したくなるほどでしたが、しかし『こころ』の「私」のように東京行の汽車に飛び乗ることもなく、ただ自分の無力さを苛立ちとともに耐えることしかできませんでした。
そして僕は毎夜父のむくみの出た足裏に、微温湯を入れたペットボトルを押し当てては、まるで憑かれたようにそこを温めようとしていたのです。それは児戯にも等しいおまじないのようなもので、夜を通じて頻繁に病室に出入りする看護士たちからは密かに嘲笑されていたに違いありません。しかしそのときの僕にとって、その小さなペットボトルの持つ熱だけが、死を直前にした父に与えられる「何か」であったのです。
もちろん父が過去の時間を通じて僕に与えてくれた無償の熱の総量に比して、その湯の熱などあまりに卑小なもので、それこそ「自己満足」の極みといえるものです。そして何よりもはや取り返しのつかないその不均衡こそが、僕をいっそうの無力さに誘います。
思うに人間が他者に対して「一方的であること」の極限には、つねに死者たちとの関係があるのではないでしょうか。僕が他者(=死者)をその他在において把握できていないという鎌田さんの批判の文脈をここに重ねるなら、それはつねに生者の側からの身勝手な「欲望」の「織り込み」を誘い、許すものであり、かつ、表面的な「絶望」がその背後に存在する「欲望」を隠蔽するがゆえに、結果として生者の恣意的な「欲望」だけがそっくり保存されてしまうのです。
その意味で、人は「一方的であること」から容易には逃れられない。しかしそれを安易に回避するのではなく、むしろ「一方的である」ほかないその関係性の質と深さを「知性」によって丁寧に吟味し、それを生き直すような営為によって、人は再びみずからを「他方」へ、つまり生の側にある他者たちの方へと向かわせる契機を見い出すことができるのではないでしょうか。
42・6・21
このあいだの夕刻、玄関の戸の前に立って愛犬リグルスを撫でてやっていた、というよりはひっかいてやっていた時、もやの中にオリオン座のようなものが見えたように思い、ふと考えた。──死んでしまった人に感じていたやさしさを、特定の人間や動物に、とにかく生きているものに移さねばならないだろう。それに伴って生者は──ある期間──この世を去っていったものたちのおかげで善行を果たすことになるだろう。
同時代的な政治的事象への驚くべき洞察に溢れた『作業日誌』のなかに埋もれるようにして、まるでささやくような小声で記されたブレヒトのこの言葉のうちにこそ、僕は人間が他者──死者も生者も含めた、さらには動物まで含めているのがブレヒトらしい!──に対して取りうる「政治的」態度の純然とした可能性を感じます。そしてそれは「政治的」実行上の倫理であると同時に、「芸術的」制作上の倫理でもあると思うのです。
死者たちとの結び付きを、特定の生者の側へと移すこと。おそらくそれが僕の当面の仕事の重要な主題であり、「新しい物語」への狭いとば口でもあるはずです。
鎌田さん、今回の僕の返信はこれで終わります。本当はこの後に「骨格」の問題が(それこそ『作業日誌』の大部を占める「血肉」のはずです)来るべきなのだけれど、鎌田さんの手紙が長大過ぎて(冗談です、もちろん)、この小さな冊子には到底おさまりそうにありません。これについては、また会ってお話しできる日を楽しみにしています。
では、どうかお元気で。
二〇〇九年 立秋
松村浩行
(『TOCHKA』劇場パンフレット)