『よろこび』監督コメント (1999)

「周りの状況に対する個人の戦い」というフレーズを、なんとかこの小さな映画の主題にすべく、つねに頭に刻み込むようにしていた、ということがありました。この数ヶ月間、迷ってはいけない、信念をもたなければなにひとつ伝えることはできない、と自戒しつつも、とかく行くべき道を見失いがちだっただけになおいっそう、自分じしんを、進行中の映画込みでまるごと支えてくれるような「言葉」に対して、意識的にならざるを得なかったのかもしれません。

ですから、まずアオシギを頼りないなりにも「個人」としてとらえ、かたちづくることがたいせつでした。と同時に、これは撮影前にアオシギを演じてくれた遠山さんとも話したことですが、アオシギの後ろ(前?)に無数の姉というか、類型としての先祖たちを連ならせたいという妄想がありました。つまり、同時代の風俗とのあいだに気の利いた細部を共有させることよりも、むしろ、百年前なり千年前なりの、あらゆる国々の「若い娘たち」とのあいだに、その本質的な「血縁」を証拠だてる糸を張っておきたかったのです。この映画が、その子供っぽい設定や道具立ては別としても、どこか寓話めいた印象をあたえているとすれば、おそらくは、アオシギのみならず登場人物たちの存在のありようが、「個」でありつつも同時に「類」である状態を夢見ているからでしょう。

「戦い」の結末をある種の抒情のうちに解消してしまったかもしれない、というこころ残りはあります。「戦争映画」にしてみたいという一時期の希いも、遥か彼方に消え去りました。しかし、まどろみのなかで聞こえる「ねむっちゃダメだ」という唐突かつ異質な警告の言葉が、かすかに倫理的な厳しさを帯びて響いてくれたなら、私もアオシギもまた目を覚まし、歩きつづけることができます。


(『Four Fresh! '99+2』劇場パンフレット)