カメラに背を向けて バルコニーに立っている三人の娘が
まず右の娘 次に左の娘 最後に真ん中の娘
の順に 体の向きを 反対に変える
たったそれだけのことなのに ここではすべてが にわかにぎこちない
右の娘は こちらを向きかけたところで ふと思い止まって しばしそのまま 頃合いを見計らい
左の娘は 向き直るのと同時に まともにカメラと目が合って 慌てて視線を下に外し
真ん中の娘も くるりと回りながら 思わずレンズを見そうになって ばれないように そっと目を伏せる
まるで ここまでの九十分間 彼女たちが演じ 生きてきた役の命が
この最後のカットで とうとう尽きかけて
一瞬間だけ 素に戻ってしまったような 気まずさ
何か現場の事情が あったのかもしれないし
どんな大監督の名作にだって 粗くらいあるのも 知ってはいるけれど
不出来にも見えるこの場面が どういうわけだか気になって
以来 三人の娘のことを 時どき考えるようになった
今も昔も 世の演出家の多くは こんな段取芝居の痕など消し去って
もっと自然で こなれたものにしようと 取り繕うはずだが
当の監督は そんなことなんかてんでお構いなし といったふうで
かつてランチを食べながら この映画を 誉め殺しの駄作 と評した男もいたようだが
その素人くささについては 説明できない謎だ ともいった
あるいはまた この映画について 生きることは演劇から出ていくことだ と書いた哲学者もいたが
ならば あの娘たちは 出ていこうとしていたのか
あの小さな綻びから 生きることの方へ
などと もっともらしく考えてはみるけれど
すべてはやっぱり ずっと謎のまま
(宇宙映画上映会 vol.4『松村浩行監督特集上映 講演録』)