『月夜釜合戦』によせて (2017)

この原稿を依頼する手紙といっしょに、試写用のDVDがおくられてきた。盤面には、「要返却よろしくお願いします。」と手書きの文字でかかれてある。用意がいいことに、ちゃんと切手をはった返却用封筒も同封されていたのだが、裏面の、こちらが差出人の名前をかくべきところに、「大阪市西成区 佐藤零郎」と自分の住所と名前をかいてしまっていて、さらにそれが二本線で素朴に消してある。

気配りとウッカリがユーモラスに同居していて、かつ、結果をスマートにとりつくろうことには関心がない様子に、「なんとも佐藤零郎的だ。」とおもったのだが、同時に、「そうか、一枚たりとも敵にはわたさないつもりだな。」という印象も受けたのだ。

敵、というおだやかではない言葉がすぐ頭に浮かんだのは、「映画で腹はふくれないが、敵への憎悪を駆り立てることができる。」という先人の言葉を、かれが懐剣のように、いつも大事にたずさえていることをしっていたからだった。

批評の執筆をたのむ相手がすなわち敵だとかんがえているわけでは、さすがにないだろう。しかし、いったん頒布した映画の記録媒体が無方向に拡散し、いつ、誰の手におちてしまうかは、わかったものではない。なにしろ、セコい敵ならいろんなところにいるのだ。いますぐ見たい、ここに送ってくれと一方的に所望しながら、それきり礼も感想も返さぬもの。勝手に周囲に横流しするもの。さらには、こちらのしらないところで上映会まで開いてすずしい顔をしているもの。これは権利問題うんぬん以前の、人間としての話だ。

敵とよぶにはあまりにケチだが、しかし味方ともいえないそんな奴らの手には、自分らの大切な映画を絶対にわたすまいとする潔癖な意志が想像された。

月夜に釜をぬく、という諺は、人の油断につけこむことをいうようだ。それにならうと、『月夜釜合戦』という映画は、自分の家のお釜を盗人にぬかれない用心をしているといえるだろうし、この世にたったひとつしか存在しない16ミリフィルムのプリントは、さながら三角公園の一隅に鎮座する巨大な釜のようなものだろう。かれらがフィルムというフォーマットにこだわる理由も、缶におさまったフィルムというもの自体がもつ、まるで大釜のような存在感にあるのではないか。

16ミリフィルムと釜の大きな共通点は、どちらも時代のながれにとりのこされた遺物だということだ。日日の煮炊きに釜をつかう人がめずらしいように、16ミリ(にはもはやかぎらないが)フィルムで映画をとろうとする人は本当に少ないだろう。昔はごくありふれた手段だったが、いまあえてそれをえらぶことには、かつてなかったような意味が生まれる。16ミリフィルムをつかって『月夜釜合戦』をとることは、かれらにとってたんなる美学的な選択だけでなく、撮影用生フィルムのカンパというかたちで映画づくりに人びとをまきこむ組織運動や、いまや大部分を占めるデジタル上映へのガンコな抵抗をも含意するような、あらゆる不利を逆手にとっての政治的選択であっただろう。

そしてなにより、釜ヶ崎という物語の舞台、被写体との関係が大きかったにちがいない。釜ヶ崎の街や人びとに最新のデジタル・キャメラをむけて映画をとることに、どこか体がムズムズするような気はずかしさや、手にした手段と対象とのあいだのよそよそしい不つりあいからくる、一抹のやましささえ抱いたのではないかというのは、こちらの勝手な見立てだろうか。

現代における釜や16ミリフィルムのありように即するように、映画のなかの釜ヶ崎は、そのなかをうごきまわる人たちもろとも、時代からとりのこされた街としてえがかれている。いや、たんにとりのこされたというだけでは、正当ではない。あからさまな政治的企図によって花壇がそらぞらしく街路を美化していき、浄化と再開発の炎が夜な夜な家屋に焚きつけられている。この場所は時代とともにみずからかわったのではなく、いつもかえられてきたのだ。そして、ここでしか生きられない人もまた、一日もはやく絶滅することを待ちのぞまれた、生きた化石のようなものだ。

このとき、敵の正体は誰の目にもあきらかである。ホンマの敵はここにいる人間ではなく、いつも自分の手だけはよごさずに、はるか高みから、種々雑多な釜のヨゴレどもの右往左往・喜怒哀楽・悪戦苦闘を見おろしている行政機構であり、その権力性に依存する民間開発業者との癒着構造である。この映画は、かけがえのないふたつのお釜をめぐるドタバタ劇をとおして、この地区でおこっている問題の在り処をあやまたずに指ししめし、敵の存在を顕在化させようとしている。全編に色こいグッド・オールド・デイズやグッド・オールド・ムービーズへのノスタルジアにもかかわらず、映画が醸成しようとしているのはあくまで現在形の、いたって具体的な敵意と憎悪だ。

だが、これらは既定の、どこか見なれた結論である。映画は敵の存在をわれわれの視界に浮かびあがらせたところで、そのうごきをとめてしまう。われわれに差しだされたドキュメント(証拠文書)として、じゅうぶんに真実なこの構図の限界は、じつのところ、階級へのまなざしの欠如からくるのではないか。

『月夜釜合戦』を見て、半世紀以上前、同じ場所でとられた『太陽の墓場』を連想することは、あまりにありふれていて、安直にすぎるかもしれない。ふたつはまったく別の映画であり、佐藤零郎は大島渚ではないし、またそうなる必要などどこにもない。しかし、映画のなかにうつしだされる釜ヶ崎と、そこに住まう釜のヨゴレたちの物語をDVDで見なおしながらかんがえずにいられなかったのは、やっぱり『太陽の墓場』のことだった。

自分自身の皮のほかにはなにも売れるものをもたない労働者たちが、お釜のかわりに、血や戸籍をぬかれる『太陽の墓場』のほうが、『月夜釜合戦』よりいっそう深刻な内容の映画だといいたいのでは、もちろんない。また、この街をえがくにあたっての写実上の達成度や、迫真性の優劣を指摘したいのでもない(『太陽の墓場』こそ、表面的なリアリズムからほど遠い。ぬかれた血の、安っぽい絵の具のようなあの赤さ)。

『太陽の墓場』がいまなお色あせず、水ぎわだっているのは、釜ヶ崎をひとつの特別な風景としてえがかなかったからにほかならない。『太陽の墓場』にとって釜ヶ崎のドヤ街は、究極的には未来において根絶されるべきものであるが、それは行政の力によって消滅させられるのではなく、そんなものが必要なくなるような時代において、人びと自身の手によって発展・解消されるものである。そのようなベクトルを遠く、かすかに予感させる一方で、たとえこの先ソ連が攻めてこようが革命がおころうが、なにひとつかわらずにこのドヤ街は存在し、必要とされるだろうという諦念まじりの怒りが、くり返しハラワタからこみあげる。このような矛盾が、『太陽の墓場』という映画の本質的な力になっている。

かりに大阪の街から風景としての釜ヶ崎がサラ地となって消えうせたとしても、地球の上から釜ヶ崎がすぐになくなることはない。『太陽の墓場』の敵意と憎悪は、お日様をいただく一国の行政権力にとどまらない。あたらしい夜明けがくるたび、生身の人間を圧倒的に不利な商売へと追いたてる、はるかに大きな仕組みの永続へと、ハッキリむけられている。

『月夜釜合戦』がもちえなかったのは、そして、その核としてもつべきだったのは、こうした階級意識への始源的な目ざめではないか。フランスの活動家からの連帯声明や、カール・マルクスへの言及を諧謔的にえがいたり(このような演出は映画の力をいちじるしくよわめているとおもう)、フェダイーンとのはるかな通底を夢見たりしても、街を根こそぎにしようとたくらむ悪しき強権との敵対関係において、まもるべき場所=大釜としての釜ヶ崎を前景化することに主眼をおくかぎり、映画が時間的・空間的におもいがけないひろがりをもつことはないだろう。可視的な敵への憎悪は、さらにその射程をのばさなくてはならない。この土地がかつて海だったという想像力は、未来にも振りむけられなくてはならない。

しかし、こうした一種の透過的な考察は同時に、主体がどこに位置しているかという場所の問題、距離の問題をつうじても、慎重に見なおしてみる必要があるだろう。つまり、じっさい大阪の西成にすんで、そこでこの映画をとりあげた佐藤零郎の拠って立つ場所や、かれと三角公園の炊き出しとのあいだの距離を、わたしは当然のように共有していない。さらにそれは、いまこの地区にかけられている不当な圧力と主体とのあいだの距離でもある。行政との対立関係の見え方・感じ方は、そことここではけっしておなじではありえない。

社会運動への参加のありなしや、それへのかかわり方の度合いについて問うているのでは、もちろんない。おそらく重要なのは、他人ごとへの感受の度合いであり、その精度なのだ。強制立ち退きに抵抗する長居公園テント村の運動を記録したドキュメンタリー『長居青春酔夢歌』でのかれの涙は、目の前でおこっていることへの精神的な動揺ではなく、本質としては他人ごとであるようなできごとを、完全にわがこととして生ききってしまう心のはたらきであり、才のあらわれであった(これはデモの人波にくわわることとはまったく別のことである)。そしてその姿勢は、フィクションである『月夜釜合戦』でも、少しもかわっていない。再開発への対し方は、こうしたみずみずしい感受性によって裏うちされたもののはずである。

だが、フィクションをうごかすのは、そのために生みだされた登場人物たちだ。だから吟味しなくてはならないのは、『月夜釜合戦』のなかの人物たちが立っている場所や、世界に対しての距離であり、その感受の仕方のはずだ。

この映画のなかの、とくに私娼やヤクザのえがき方は、ある種の映画的ステロタイプに依拠した悪しき通俗型で、およそ人間的な発見というものがなかったが(それは一群としてとにかくバカ、いやアホに見えてしまうということだ)、そこに半身をおきながら、しかしもう半身はその集団から遊離しているような空気をまとった存在として、メイとタマオという人間がいる。

古典の噺に着想したこの物語に似つかわしく、ほとんど前近代的といってもいいような人物像にピッタリおさまった仁吉のようなキャラクターとは対照的に、二人のたたずまいは、どこかボンヤリとして所在なげであるが、かれらにだけ、自転車なり徒歩なりで、あてどもなく街をうろつくショットがあったのは、どこまで確信的にやっているのかわからないが、たいへん象徴的なことだとおもう。

それは、つねに目的=エンドをもった仁吉らの移動とは正反対の、いき先のさだまらない、無目的な放浪であり、フィクションの継起からもなかばはずれかかったような時間である。また、こうしたさまよい歩きは、体全体を目のようにして、独り虚心に外部と接することができる人間にだけ可能であって、学生たちを引きつれて街をフィールド・ワークしてまわり、風景のなかに自分の頭の知識にあることしか読まない大学の先生には、絶対不可能なことである。

そして、廃墟のあいだをさまよう『ドイツ零年』の子どものように、かわっていく釜ヶ崎の街をながめてまわるメイとタマオがどちらも出くわすのは、なんとも意地の悪いことだが、行政が街路に立てた看板なのだ。風景を変容させ、人びとの生を規定するそうした力の遍在を感覚する二人は、ほんらいなら幇間の父親をうしなった少年がになうべきような、外界に対する無防備さと敏感さをその身に引き受けている。それらは、類型的な群れの内部にとどまりながら、そこからはぐれ、ズレるほかない、フィクションのなかの孤独者──よるべない孤児としての資質である。

片玉がない、というフィクションの負荷を余計におわされているタマオよりもいっそう、案山子のメイは物語から浮き足だった人物で、ファースト・カットとラスト・カットはともにかの女のイメージであるが、その存在が物語の首尾一貫をタテ糸としてまとめあげているというよりはむしろ、このフィクション世界全体を、どこか突きはなすように相対化しているふうだ。とりわけ、自分自身の体と時間をもてあますように(なにしろかの女は、売春業につきながら、なかなか体を売らないのだ)、自転車に乗ったり、立ちつくしたり、すわりこんだりするその身体には、物語のスピードを変化させ、それを引きのばし、内側からちがう質のものにつくりかえてしまうだけの可能性の萌芽がねむっていたとさえおもう。

このことは、二重の意味で商いにあらがうような身体のあり方を意味している。ひとつは、娼婦というかの女の生業において。もうひとつは、映画の商品性において。

なぜならそれは、商業映画の効率的な語りがながく圧殺してきた危うい持続のことであり、山中貞雄から大島渚にいたる、すぐれた監督たちにさえほとんどゆるされなかった、まさに案山子のようにむきだしの身体性と、それが生みだす宙ぶらりんな時間である。

しかし、その全面的な実現はえらばれなかった。つくり手が、どこまでこのことを自覚していたかはわからない。だが、すみずみまで約束ごとがいきとどいたこの物語の虚構のなかで、たとえばメイのような人物の身体がもつ異質な時間性が、往年の娯楽映画を範としたような、物語の経済的な時間進行とのあいだで、ある決定的な齟齬をきたすことへの気づきが、制作中、どこかであったのではないかというのが、おなじつくり手としての想像なのだ。そしてそれは、フィクションの名のもとに、ひそかに抑圧されたのではなかったかともおもわれるのだ。

ドキュメンタリーとフィクションの別なく、映画は再開発に抗議したり、資本主義に異をとなえるための綱領や行動指針ではありえない。それを目ざしたある種の映画は、のちに無惨にも古びてしまい、その生命をうしなってしまった。映画がなしうる最良の創造性は、なにか外在的な運動を支持したり、それに反対したりすることに発揮されるのではなく、それ自身が自律的でゆたかな運動体となること、そしてそれ固有の、ほかのなにものにもおかされることや、売りわたされることのない時間の持続を獲得することだ。作品がすべて、芸術は芸術だ、といいたいのではなく、真意はその逆なのだ。映画の政治性は、つくり手の頭のなかや映画の外側にわかりやすくはりついているスローガンではなく、映画のなかのあらゆる細部に、かくれるように宿っている。

とくに『月夜釜合戦』という映画は、舞台となる釜ヶ崎の特別な土地柄や、そこでおこっている社会問題への傾向、はたまた監督の経歴にいたるまで、じつにさまざまな新聞文化面的関心とともに見られることはさけられないだろう。そしてそのことが、この映画に観客をもたらしもするだろう。東京での試写のあと、佐藤零郎はわたしに、再開発をとめる運動としての映画ではなく、この映画自体が再開発そのものと直接対峙する、公園のブルーテントとおなじような砦となりたい、という意味のことをいった。それにはアイマイな反応しか返せなかったが、かれ自身もその力強い言葉の裏に、「再開発をとめる運動としての映画」としてのみ見られることへの危惧を、わずかなりとももっているように感じられた。

そのようなおそれのあることをいまもみとめる一方、わたしは、かれがふかくその運動にかかわりながら、どこかの安全な外野ではなく、運動が生起し、いくつもの政治的力がせめぎあっているまさにその場所に、たくさんの仲間たちと協同で、自分たちの砦を手さぐりでつくったのだと強く感じる。それはたとえ誰に、どのような見方をされようが、けっして簡単にぬかれたり、のっとられたりしないだけの柄はそなえている。


(蛇足)今回『月夜釜合戦』とともに『太陽の墓場』を見なおしたのだが、両作におなじようなシチュエーションがあることに気づいた。それは複数の人間が飲食の途中で、あわただしく呑み屋を出ていくという、なんてことはない場面である。しかしここには、じつにちっぽけだが、見のがせないちがいがある。率直にいってわたしは、若き大島の観察と演出に感服せざるをえなかった。そこには、あるたしかな身振りが定着されていた。興味のある人はぜひ、たしかめてほしい。


(批評新聞『CALDRONS』第1号)