制作時の空気をよく伝えうる、(できるだけ)魅力的なできごとを、いくつか書きつらねるのが一等よいやり方なのだとは思いますが、なにしろそこに一年と数箇月という時間が横たわっています。準備中、もしくは撮影中に配布された雑多な紙片をおさめた箱を開いてはみたけれど、はたしてその距離を縮める手だすけとなってくれるかどうか。
とはいえ、ちょっと面白いものが見つかりました。「メインキャラクターの基本的な性格イメージ」と題された、B5大の、シンプルな印刷物です。
これはたしか、キャストおよびスタッフに向けて、作品理解の共有を図るべく、監督みずからが用意してきたもののはず。書きうつしてみます。
◯ジュリアス‥いわゆる「人が悪い」人。基本的に世界をバカにしている。
◯アーサー‥子供。基本的に世界と遊んでいる。
◯レナード‥気もいいが調子もよく、基本的に世界をナメている。
◯ロビン‥友だち。特にアーサーの。基本的にどんな世界も受け入れる。
◯オヤジ‥実はごく普通の世間的なオヤジ。
西山監督はキャラクターというものをとても大切にする人だと思います。その登場人物が「世界」に対して、「基本的に」どんな態度をとっているのか。その身構え方こそが、おのおののキャラクターの核心を、シンプルに、力づよくかたちづくっているのです。
ここで、ちょっとばかりアーサーを真似た悪戯っぽい手つきで、「世界」を「映画」に書きかえると、いったいどうなるでしょうか。ひょっとして、「映画」をめぐる人びとの「キャラクター」も、こんなふうに把握することができるかもしれません。「基本的に映画をバカにしている」「基本的に映画と遊んでいる」「基本的に映画をナメている」「基本的にどんな映画も受け入れる」などのように!
思うに西山監督は、アーサーとオヤジの中間に位置しているようです、「基本的に映画と遊んでいる、実はごく普通の世間的なオヤジ」として。
そう、オヤジといえば、西山監督がもっとも「映画」と遊んでいたと思われるのが、ほかならぬ、さびれた町外れでの、キャットハンターのオヤジのシークエンスでした。
スクリプターが不安になるほどに、持ち前の「ワンカット=ワンシーン」(決して逆ではない)の思想をぞんぶんに発揮して、カットを刻むごとに人物配置を自在に変え、背景を変え、果ては天候まで変えて、徹底してコンティニュイティを切り刻んでいく……。そのクライマックスで、オヤジは唐突に、高らかに、こう叫ぶのでした、「どうだ!?」
そしてその叫びは、同時に西山監督の叫びでもある。しかしスタッフの一人として、その叫びをしかと受けとめることができていたかどうか、非常に心もとなくあります。
撮影台本を見ると、あらかじめ監督が書き入れたカット・ナンバーがならんでいます。作業効率を考え、演出部として願い出て、事前にコンテを割ってもらったのですが、たとえ「必要悪」とはいえ、「映画と遊ぶ子供」にとって、それは「遊び」をつまらなくする、ひたすら分別くさい要請であったに違いありません。
そのことを考えると、一年半にちかい歳月を越えて、ぼくはいまでも、どこか苦にがしい気持ちになるのです。
(『シネマGOラウンド』劇場パンフレット)