空と夢 (1997)

父はぼくに太い針金を曲げてこさえたパチンコを与えた。ぎりぎりときつくしぼりこんだゴム紐より放たれた弾丸がわりの小石は、むろん一羽たりとも射おとすことなく、ただ舞いうごく尋常ではない数量の鳥たちをいたずらに散じさせては、ぼくに高く澄んだ空を見せ、そのとき、ごく愛想めいた警戒の沈黙がしばし頭上におとずれるのだが、しかし、弾丸がうがち、弾道が律儀にくぐりぬけたばかりの空隙もすみやかに黒く満たされてしまい、またぞろ鳥たちはまがまがしい啼き声を取りもどすので、ぼくはみずからの撃ちはなった小石がどのあたりへ落ちていったものかもまともに見さだめられない。

一九八四年の夏もおそくにおおくのおおくの鴉たちがぼくの家の上方の空をうずめ、せめぎあい、呼びかわし、その唐突にかたちづくられた光景は、ぼくの家の近傍一帯を眼下におさめうる小高い丘陵からも認めることができたようで、その丘陵に住まい、大学の研究者を父にもつ級友のいち少女は、かの女の父がぼくらの頭上にまつわりはじめたあの一群にいたく興味をおぼえ、叶うことならその調査研究をおこないたいと述べている旨をぼくに伝えてくるのだが、やはりそれは断らなければならない。

ノスリはみごとに締め出しをくらい、思案顔に旋回を繰りかえしては時の推移を待ち、ぼくはぼくで級友の少女の父親がその研究心をかきたてられたというこの唐突にして、またある意味ではまったき必然の産物ともいえる黒ぐろとした頭上の展開に向けて、十歳の子どもらしい、みずみずしくもあくまで大仰な好奇をまとっていたが、しかし、その実ぼくはわれわれがほとんど本能的といってもよいほどの敏捷さと確実さでもって読み解いてしまう、あれら飛びかう記号たちが理不尽なまでに担わされているところのものを、だれにおそわるともなく諒解していた。

父がぼくに委ねた太い針金をねじ曲げてこさえたパチンコは、いつやら飛行物をその標的とすることをあっさりあきらめ、不名誉ながら、もっぱら電柱や電線、樹枝などにとまったものばかりを狙い撃ちにしはじめた。鳥ニアッテ美シイモノハ本来、飛行デアル。力動的ナ想像力ニトッテハ飛行ハ一次的ナ美デアル。一羽の鴉が老いた、低いイチイの上で羽をやすめている。人ガ鳥ノ羽ヲ美シイト見ルノハ、鳥ガ地上ニ止ッテイルトキ、夢想ニトッテハモハヤ鳥ガ鳥デナクナルトキノミデアル。ぼくはいっぱいに身をこごめ近づき最大限に怖れながら撃つ。たちまちにそれは羽ばたき悠然と浮きあがりイチイの葉と枝とを揺らす。ソレハ上リ、マタハ下降スル。イチイは赤く甘く熟れた実をたくさんつけている。

鳥ガ地上ニ止ッテイルトキ また一羽、別の一羽が薪小屋のトタン屋根の軒端へ 夢想ニトッテハモハヤ鳥ガ鳥デ ぼくの小石を挟む指は震え 鳥ガ鳥デナクナルトキノミデアル 両足が軒端から耳障りな音をたてて離れそれは浮きそれは空へ上りそれは再び飛ぶ鳥へと還り 想像的ナ鳥……シバシバソレハ青カ黒デアル

ある日ぼくは一羽を殺した。被弾したその頭部から流れでた血はその赤を際だたせることなく、それに触れた羽毛を早ばやとみにくく固めていった。射られるまぎわの鴉は、門柱に模し小途をはさんで二本たてられた防腐処理済みのとびいろの丸太ん棒の一方に、高く頭をかかげ、半ばくちばしを開き、眼眸をまるめ、両の翼を猛だけしく持ちあげて、まさにいま飛びあがらんとしていた。しかし同時にそれはなにか、もはや凝結した、飛行不能の、台座の上にしつらえられた漆黒の生なましい彫像のようにも見え、ぼくがそれを射った。それは射られて高みからはげしくはじけおちた。

鳥たちとの、はなから勝つ見込みのないくつがえしえない戦いだったのであり、そのこともとうの昔に承知していたのだとはいえ、ぼくはぼくの勇気と殺意と忍耐と、昨日手に掛けたばかりの生命一個のいずれもが、すべて無駄に費やされたのだという事実を、ながく病床にあった父方の祖父の死という翌朝の報せの受領とともに、こっぴどく知らされることとなったのだ。


(東京山手YMCA会報『わいわいにゅうす』No.178 1997年4月号)